小山内勝也(おさないかつや)は、日頃から自分が間違っているという自覚をもっていた。
彼は幼女に心惹かれることが多かったのである。
自分が一般的な人間と違う嗜好をもっていることは、常に彼を悩ませていた。

01話
倒錯偏愛パラフィリアン - collide


「ふひ」
 カーテンの隙間から朝日が入ってくるが、その隙間はひどく細くて部屋に一条の明かりを残すだけだ。窓の傍には勝也の細いシルエットが残っていて、彼は少し開いた窓に望遠鏡を挟み込み、向かいの小学校を覗いていた。
 すでに授業は始まっていて、大半の生徒は教室で授業を受けている。望遠鏡のレンズは、グラウンドで体育をしている子供たちを追っている。
「ふひひっ」
 その元気そうな姿に、勝也は笑った。この時間こそが至福であった。
 いきなりケータイ電話のアラームが鳴った。勝也は飛び上がった。音量こそ小さかったものの、外にいる人間に気づかれてはたまらない。覗いていることが知られては元も子もない。
 舌打ちをしながら、傍らのケータイを手にする。そこには「バイト」と短く書かれていた。
「やばい!」
 勝也は急いで身支度をした。これからガソリンスタンドのバイトがあるのだ。
 着替え終わると慌てて鍵を閉めて駆け出す。日頃から洗いざらしのため痛んで縮れてきている長めの髪を手櫛でとかしながら、バイトの開始時間と移動にかかる時間を逆算する。よれよれのTシャツであることが少し恥ずかしかったが、どうせバイトが始まれば制服とキャップをかぶるのだから気にすることはない。あと幾らかバイト代を稼げば、貯金でビデオカメラの望遠レンズが買えるのだ。それで録画すれば、これほど嬉しいことはない。もちろん生でレンズ越しに見る以上の幸福はないのだが。
 少し離れたビルの屋上に、右頬に傷をもつ男が眉をひそめて立っていた。男は髪をなびかせて小学校を見ている。そして歯軋りをした。
 彼が視線を滑らせると、遠方の道路に少女が見えた。少女は子犬を追って車道へ飛び出す。車道の向こうからはトラックが来ている。丁度いい機会だ、手始めに。そう男は思った。
 男が念じると、トラックの運転手の頭が揺れた。すると運転手はアクセルを踏み抜き、ハンドルを切って少女に向けた。
 焦る気持ちと逸る思いで、勝也は足を速めた。
 そのとき車道に少女が飛び出すのが視覚の端に映った。トラックが向こうから来ている。母親は井戸端会議をしていて気づいていない。勝也はとっさに全速力した。
 トラックは急ブレーキをかけ、
 母親はようやく気づく。
 トラックはスリップして
 片輪を浮かせて滑る。
 勝也は少女をつかんで
 歩道に投げ飛ばした。
 トラックはそのテールをぶつけ

 勝也は、はねられた。

 宙空を舞いながら、勝也は不思議と冷静だった。衝撃がおもいのほか強かったことや、骨が折れたこと、助からないだろうことを予知した。少女は無事だろうか。ケガをしていないだろうか。あの母親はなんて馬鹿なんだ。ビデオカメラの望遠レンズ。いろいろなことが去来した。
 そして頭からアスファルトに打ちつけられて削られて、もっと体操服が見たかったという思いで視界を閉ざした。
 ビルの屋上に、男の姿はもうなかった。

 闇のなかに寝台が浮かんでいる。寝台の上には勝也が横たえられている。闇は杳として広さを窺わせない。
「彼は大丈夫なのですか?」
 女性の声が傍から洩れ聞こえた。すると闇黒から老人の顔が飛び出て勝也のそれに近づいた。染みの幾つも浮かんだ皮膚はその顔は褐色に枯れていて、血の通っていることを思わせない。
「大丈夫じゃ――私の『大丈夫』という概念の認識によればな」
 しわがれた声は、闇に向き直った。その先から、女性が現れる。黒髪を頭頂部で結っていて、闇との境界線が曖昧だ。
「そうですか……。彼にも素質が?」
「ああ、そういうことじゃな」
 そのとき勝也が呻き声を小さく上げた。2人は黙ってその様子を見ている。
 勝也はゆっくりと目を開いた。視界が真っ白だ。
「気がついたようね」
 声の方向を探ったが、勝也にはなにも見えなかった。
「まだ慣れんのじゃろう。無理はするない」
 老人は手元でカチャカチャとメスや鉗子を片附け始めた。
「僕は……」
「お主の雄姿は見せてもろたよ。好きなもののためなら命を投げ出す覚悟……見事じゃ」
 勝也の脳裏に事故の瞬間がフラッシュバックした。トラックのテール。少女。
「あのコは……痛っ」
「無理をするなというたじゃろ」
 老人は薬品の染み込んだガーゼを勝也の目に貼った。
「あの娘は大丈夫じゃて。多少のケガはあろうが、命に別状はありゃせん」
 白い髭を弄びながら、老人は闇に消えていった。
 勝也は安心した。口元をほころばせて、バイトを無断欠勤してしまったことに思い至る。その事実に歯噛みをしたが、少女の命には換えられない。
 安心すると、あの老人は誰だろうと不思議に感じた。そして病院でないことに気づき、不安が急激に募った。
「おい……ここはどこなんだ。ここはどこなんだ!?」
 勝也が大声を張り上げると、うるさいわね、と頭上から声がした。
「ここは基地よ。けっこう響くんだからうるさくしないで」
 勝也が首を上げると、女は肩をすくませた。ポニーテールが揺れた。
「あんたは……?」
「私? 私は雅戸絵美(まさどえみ)。博士とかからはマゾフィリアンと呼ばれたりもするけどね」
「マゾフィリアン?」
「ええ……。博士、このコはなんのフェチなの?
「ペドフィリアンじゃよ」
 老人がまた現れ、勝也の頭上で会話が続けられる。彼にはその内容が理解できていなかった。
「ちょ、ちょっと。なにそのペドフィリアンって」
「お主、子供が好きなんじゃろ」
 驚きの声を発しそうになって、勝也は口をつぐんだ。
「隠さんでもええ。お主はその小児性の好意を抱く人間だからこそ、ここにいるんじゃから」
 博士はまた闇に消えた。
「ここ……さっき基地っていってたけど、なんの基地なんだ?」
「私たちの、よ。悪のマルチフォビアンを倒すための――」
「――パラフィリアンのじゃ!」
 博士の声が上がると、急に辺りが明るくなった。勝也は腕で目を覆った。
 そこは倉庫のように雑然としてはいたが、不思議な装置やスペックのやたら高そうなコンピュータが置いてあった。
「お主はトラックから少女を助けるために身を呈したわけじゃが、あのトラックはヤツらマルチフォビアンの仕業じゃ」
「あいつらはためらわずに人を傷つけるわ。私たちパラフィリアンはそれを阻止するためにここにいるの」
 勝也は基地内を見渡しながら、傍らに気配を感じて仰ぎ見た。
「わっ!」
 そこには別の女性が立っていた。左目から口の右端にかけて斜めに包帯をかけていて、じっと勝也を見ている。
「あら、サチの存在に気づいてなかったのね」
 絵美はサチの髪を優しくなでる。
「このコはアポテムノフィリアン。ちょっと長ったらしいからね、私たちはテムノフィリアンと呼んでるわ」
 勝也はサチの目の奥を見つめ、絵美の笑みに目をやり、博士の勝也を気遣う様子に戸惑った。
「わからない……」
 首を横に振る。
「どういうことなんだ……」
 絵美はため息をつくと、博士に目配せをした。博士は頷く。
「あなたがこのパラフィリアンに与するもしないも自由よ。ただどちらにせよ、あいつらは人を傷つけることをやめないわ。そしてヤツらは、あなたの好きな子供たちを傷つけることも厭わない」
 弾かれたように勝也は絵美を見た。
「猶予はまだまだあるわ。ゆっくり考えてね、ペドフィリアン」
 絵美はサチの手を引くと、博士と一緒に奥へといなくなった。
 倉庫のような冷たく静かな場所のなかで、勝也は独り取り残された。その頭のなかに去来するものは困惑だけだった。


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