05話「出陣 - departure」


「相手は?」
 絵美がいうと、博士は大きなキーボード――その、100はあるんじゃないかと思えるキーの1つ――を叩いた。
 わけのわからない図式だった画面が、街に変わる。その中央に、走っている市バスが映っている。
「今このバスが街中を暴走しておる」
 たしかにそのスピードは尋常ではなく、他の車を追い越して走るバスはときおり片輪を浮かせてさえいる。
「そして相手はこの者じゃ」
 また博士がスイッチを押すと、画面が男を遠巻きに映したものに切り替わる。男の頬には傷がある。
「小児嫌悪ペドフォビアン――」
 絵美が呟き、博士は頷く。
「こやつがフラグメントで運転手を操っておる。このバスをここへ突っ込ませる気じゃて」
 画面が切り替わると、勝也は息を呑んだ。
「小学校……」
 それは勝也の家の前にある小学校だった。
「絵美は知っておるじゃろうが、こやつは『大』がつくほど子供嫌いでの。目的はこの小学校の児童たちを殺すことじゃろう」
 勝也の胸の奥が熱くなった。
「バスが小学校に辿り着くまではどれくらいかかるの?」
「約1.4×10の46乗tpじゃ」
「はい?」
「プランク時間で表した数字じゃ。もっと詳しく表すと1.41154910558609893×10の46乗tpじゃて、ヒョホッ」
 異様な声で笑うのを無視して、絵美は「分と秒で表して」と促した。
「まったく無粋な女じゃて。今じゃと12分35秒じゃ」
 あまり時間がないわね、と絵美は歯噛みした。博士は34秒、33秒と残りの時間を正確にカウントダウンしている。
「もしバスの小学校への衝突を防げなければ――?」
「そのときは大量虐殺は免れんじゃろうな。おそらくバスには爆発物がしかけられておる。それを取り除けなんだら、小学校でなくとも被害は抑えられん」
 大きな音がして、2人は振り返った。
 勝也が顔を赤くしていた。それほどの血流が彼にあることを、絵美は意外に感じた。
 ――大量虐殺。子供を。
 ――大量に。虐殺。
 怒りのあまり無意識に壁を拳で叩いていた。壁は窪んでいる。
 絵美と博士は視線を合わせた。博士が頷く。
「小山内くん。これから私はバスを止めに行かないといけない。もしあなたが希望するのならあなたも同行してもいいわ。でも――」
 訓練もろくにしていないから、危険でもあるけれど。そう彼女はいおうとした。
「――構わない!」
 しかし絵美の言葉を遮って、勝也は叫んだ。その目からは、涙が零れていた。
「そんなヤツは許せない。赦しちゃいけない!」
 絵美は驚いていた。さっきまでの勝也とは違い、まるで触れればこちらがケガしてしまいそうだ。
 彼女は博士に頷きかけると、こっちよ、と勝也を促した。博士がキーボードを叩く横を抜けて、自動ドアへ入っていく。
 そのなかには円筒を縦にした形の装置があった。
「これは転送装置。人を瞬時に別の場所に送ることができるわ」
『とはいっても座標を正確に指定することはできんがの』
 部屋のスピーカーから博士の声が聞こえる。
『大まかな座標を指定して飛ばすことはできるんじゃが、この放葉島(ほうばじま)から離れるほど転送地点のぶれは大きくなる。まあ今回は都内じゃから大丈夫じゃろうて』
 絵美は博士の説明を聞かずに装置に入った。
「博士、お願い」
『よし』
 装置のなかはライトアップされたように白く明るくなり始めた。絵美は驚く勝也を一瞥して、視線を正面に戻した。装置内が白一面になり霧が晴れると、絵美はいなかった。
『少しチャージをせにゃならんからすぐには転送できんが、お主も入っておけ』
 装置のなかはガラス張りのようで、試験管に入れられたような妙な印象だった。
『転送のときは暴れたりするんでないぞ。場合によってはお主の粒子が霧散して、二度と元の体に戻ることはありゃせんからの。フヒョッ』
 勝也はその異様な笑い声を、それほど気味悪く感じていないことに気づいた。
『よし、チャージが済んだわい。転送するぞい』
 足元から白い粒子が舞い上がる。それと同時に靴から順に足が消えていく。身じろぎすると背中が装置の壁に当たった。腿がなくなり腰が失せ、腕がなくなり胸が消えた。体が見えなくなった。



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