07話「救助 - saving」


「サチ!」
 その女のコは白いワンピースをはためかせ、天使のように見えた。
 彼女は足で勝也と絵美を掴んだ。
「ぐあっ!」
 勝也は痛みに声を上げた。サチの足は鳥のように鋭くなっていて、その爪先が2人の背中の肉に食い込んだ。痛くて勝也は暴れた。
「暴れないで! 落ちるわよ!」
 絵美の注意と共に、3人は空に大きく羽ばたいた。
 周囲の人々の驚く顔が眼下に見え、それがやがて小さく消えていく。
 自分の住む街を俯瞰で見るのは初めてだった。
 バスの通ってきた車線が混乱しているのが容易に見てとれた。そしてバスが離れていくのも見えた。
 ううっ、と絵美が小さく呻いた。足を押さえている。折れた部分からぷらぷらと揺れている。勝也の視線に、絵美が気づく。
「大丈夫よ。すぐに治るわ」
「折れてるんだろ。すぐに治るはずがない」
 絵美は強がって笑うと、「背中、痛くないでしょ」といった。見上げてサチの姿を確認する。おそらく彼女の爪は背中に食い込んだままなのだろう。だが勝也が動いてみても、背中が痛むことはなかった。
「私は傷の治癒を早めたり、痛覚を鈍らせることができるの。今は2人分の痛みを取り除いているから治癒が遅れているだけよ」
 勝也は納得して、バスの動向に注目した。おそらく絵美も話しながらだと治癒に集中できないだろう。
 バスはおそらくもうすぐで大通りから二車線の道路に入るだろう。そのままいくらか直進して脇道にそれれば小学校はすぐだ。
「バスに近づいてくれ」
 勝也はサチに呼びかけた。しかし見向きもせずに応じる気配もない。
「サチ、バスに近づいて。お願い」
 絵美がサチにいうと、加速しながら降下した。勝也は舌打ちした。
 ゆっくりと距離が縮まっていくのを感じながら、これは本物だと確信していた。博士や絵美のいっていたことも、敵と戦っているということも。勝也が事故に遭ったことも、あのバスを小学校へ仕向けた男がクソ野郎だということも、間違いないということだ。
 胸の奥から、沸々と熱い怒りが湧く。どうしてあのコたちを狙うんだ? なんのために狙うんだ? 溢れる疑問は苛立ちを加速させる。
 バスが交差点に差しかかろうとして、思考は遮られた。
「バスが曲がる前にドアを壊したい。近づけるか?」
「どう、チサ?」
 返答の代わりに降下し始めた。今はこのムカつく天使も不問としておこう。
 バスと同じ高さまで下りると、バスの後部に客が集まっているのが見えた。みんな怯えている。なかでも子供たちは震えているようだ。
 運転手は――涙を流していた。引きつった顔で前を見据えながら、ハンドルを握り締めている。意志とは関係なく操られる気分は、どんな感じだろう? 勝也にはわからなかった。
 後部のドアの枠に手をかけようとすると距離が離れた。何度か試みたが、掴む前に離れてしまう。
「なにやってんだよ、届かねえだろ!」
「あんたはドアを開けることさえできればいいのかもしれないけど、私とサチは生きて帰るのも目的のうちなのよ」
 勝也は絵美を一睨みしたが、文句はいわなかった。その時間が惜しい。
 むりやりに足を伸ばして蹴ろうとする。勝也は自分が日本人であることを――短足であることを――恨んだ。
「ドアを開けてどうするの。こんな速度じゃ降りれないわよ」
「次の、交差点で、曲がる、はずだ。そこで減速、するだろうから、タイミングはそこ、しかない」
 何度もドアを蹴りながら息を弾ませて勝也はいう。絵美はケータイを取り出し地図を見て、そういうことね、と呟く。
 踵に重い感触をつかむと同時に、折りたたみ式のドアが全開する。
「よしっ!」
 快哉を叫ぶ勝也に、絵美は皮肉っぽく笑った。
 絵美は目を閉じて、バスの後部に手を向ける。勝也は固まっている客に呼びかける。
「おい、あんたら! もうすぐバスが曲がるからそのときに飛び降りろ!」
 聞こえているのかいないのか、客は顔を見合わせたり戸惑ったりしている。
「時間がねえんだよ!」
「静かにして、集中できないわ」
「なにを――」
「黙って見てなさい」
 絵美がいうやいなや、サラリーマンふうの客が1人立ち上がった。そして後部のドアを通り過ぎた。
「なにやってんだよっ、オッサン」
 サラリーマンはそのまま前部のドアに差しかかると、ドアコックを捻ってドアを全開にした。
 それに従って、次々と客が立ち上がる。10人ほどの客が前後のドアにほぼ等分に分かれた。
 どうなってるんだよ、と勝也は言葉を洩らせた。
「もうすぐ曲がるぞ、吹っ飛ばされるなよ!」
 絵美はなにかをサチに呟いた。サチは加速するとバスから離れた。
 急ブレーキで後部のタイヤが滑り、
 騒音が轟く。
 女性客の甲高い悲鳴がつんざき、
 バスのテールが軽く中央分離帯にぶつかる。
「今だ!」
 勝也が叫び、客は一斉に飛び降りた。それは統率されていて無駄がなかった。
「やった! 全員降りられたぞ!」
 客は誰一人として車内に取り残されることなく、路上に転がっていた。それぞれが驚いて目を点にしている。
 バスは加速を再開し、二車線の道路を走り始める。勝也の目に、後部のドアにしがみつく人影が見えた。
 降りそびれた客がいるのかと焦ったが、近づいてみるとそれは絵美だった。



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