13話「食卓 - how delicious!」

「節子さん、ハンバーグカレーを」
「セッちゃん、私はリブロースステーキで」
「あいよッ」
 カウンターの中では割烹着を着た5、60代のおばさんがいた。
「あなたはなにをするの?」
「えっ、あ……」
 そのときにふと持ち前の引っ込み思案が出るのがわかった。手を上げて頭を掻いたり髪に触ったり、鼻の頭や腰に手を当てたりした。その間も辛抱強く節子は待った。
「じゃ……同じので」
「博士さんと同じもの? それとも絵美ちゃんと?」
 その口調は決して急かすものではなかったが、自分のミスに慌てて顔から血の気が失せる。口からはわけのわからない吃音が繰り返され、垂れる汗を指で拭いてはシャツにこすりつけていた。
「両方っ」
「よしッ。カレーはご飯とスパゲティがあるけど? どうすんだい?」
 逃げ場のない質問に口のなかでもごもごいっていると、節子は「ご飯だね?」と聞き返してきたので、物言わず首を縦にふった。
「あいよッ」
 活気のある声を背中に、そそくさと勝也は去った。
 博士と絵美は向かい合わせに座って雑談している。一瞬どこに座っていいものか迷ったが、博士の隣の丸椅子に腰を据えた。
「逆流を止めるのは難しいわ。嵐の夜に雨粒を避けて歩けといわれてるようなものよ」
「そりゃできんわな」
「ええ。むしろそれを利用した戦い方ができないものかしら」
「ふむ。敵の心情を読み取るとかの」
「そうね。でもペドフィリアンでさえ読み取ることは無理だったわ。やっぱりインコンプリートには防壁のようなものがあるのよ。心を読み取られるのを防ぐような屈強な壁が」
 そのやりとりを聞いて、勝也は入り込んでもなにもわからないと見切りをつけた。フラグメントのことなんてわからない。博士や絵美は勝也自身もフラグメントを使ってバスを止めたというが、うっすらと記憶があるだけで曖昧にしか憶えていない。
 食堂は広く、優に30人は入れそうだ。その片隅で3人はまとまって座っていた。快適な室温とは裏腹に、窓で切り取られた青い世界は夏の様相を呈している。
 ここにいれば帰る必要はないのかもしれない。鬱陶しい決まりごとばかりの世界。出る杭は打たれる。想像の範疇に収まらないケースは除外し、なかったことにする連中。少なくともこの場所は、彼を受け入れている。博士や絵美は、事実の上では彼を必要としている。それが好意などの感情とはまったく関係がないことを知りながらも、それでいいかもしれないと感じる。必要とされる、というのは心地いいことだ。ガソリンスタンドのバイトという小さなビス給油口から、社会の悪と戦うパラフィリアンの一員という少し大きな歯車に変わるだけだ。
 ぼんやりと、これは夢だ、と信じた。醒めることのない夢。夢という名の現実だ。普通の人の知り得ない現実。それはすでに夢なんだ。
「はい、お待ちい!」
 節子の大きな声を聞いて、博士と絵美は立ち上がる。それぞれに料理のトレーを手にして戻ってくる。勝也も倣って余った最後のトレーを持ち上げる。ハンバーグカレーとステーキが乗っている。そのトレーは重くたわんだが、勝也に注がれる節子の視線に類似していた。
「あ、ありがとうございます」
 表情も見ずに退散する。食堂を利用するのは極力少なくしようと決心した。
 席に戻ると、2人は美味しそうに食べていた。勝也も目の前の食事と向き合う。
 まず目を引いたのは、リブロースの熱さだった。指の第一関節ぐらいはあり、圧倒するボリュームだ。ナイフで押すと肉汁が脂身との隙間から溢れる。
 腹が鳴った。弱々しい犬の威嚇する声みたいなそれは、2人を小さく笑わせた。少し顔が赤くなるのを感じながら、ステーキを切って頬張る。
 弾力があって噛むごとに肉汁がとろけ出し、噛むごとに欠片は小さくなっていく。しっかりと食感がありながら、口のなかにしつこく留まらない。まるで遠距離恋愛のカップルのように濃厚な一瞬。まだ一緒にいたいと思うけれど、時は迫り離れ離れに。その瞬間をもっと味わいたくて勝也は次々にステーキを放り込んだ。
 ハンバーグカレーもボリュームがあり、左にルウの海、右に白いご飯の陸があった。まるでその陸に上がろうとしている大亀のごとくハンバーグが鎮座している。背中にはルウがかかっていて、見た目からキレイだ。
 博士はスパゲティにしたらしく、箸でつまんではチュルチュルと吸っている。絵美が子供ね、とでもいいたげに眉をハの字にする。彼女は600gはありそうだった肉塊が、半分はなくなっている。
 カレーの海をすくうと、黄金色の油が浮いていた。スパイシーで体が熱くなる。ご飯と一緒に口に含むと、辛味が抑えられて甘みが際立つ。ハンバーグをスプーンで切ると、肉汁が海に溢れた。胡椒がよく効いていて、カレーにも負けていない。三者をどの組み合わせで食べても美味しかった。



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