17話「迷いに見る策謀 - right or left, which is wrong?」

 博士はモニターで女性の泣くのを見ていた。男が自ら去ったからいいものの、もし彼の目的が殺すことであれば、彼女は”泣き”むせぶに留まるどころか亡骸(”なき”がら)になってしまっていたことだろう、と博士は思った。
 通りすがりの男性が彼女の泣きすすりを聞いて近づくが、その顔の裂けているのを見て腰を抜かせた。
 悲劇は喜劇の一端であると内心で呟いて、コンピュータを操作した。カメラはひげの男を追う。
 眼鏡をかけた気の強そうなサラリーマンが、ひげの男と肩をぶつからせた。サラリーマンが睨みつけるが早いか、彼の首に筋が入った。首に触れた手が真っ赤なのを見て、息を喉元から洩らした。ヒュウヒュウと声も洩れた。
 気道を傷つけたとなると動脈も多く傷ついているだろう。さきほどの母親よりもこのサラリーマンのほうが重症だ。この状況に混乱した警察や救急病院などの前線がどう対処するかによって質が決まるな、と博士は独り言ちた。
 ひげの男は歩き続けていたが、横断歩道の前で止まった。赤信号が青に変わるのを律儀に待っているというよりも、どこへ向かっていいのか思案しているようだ。
 博士は足を組んだ。短いせいで右の膝関節が左の太腿の上に来ず、ふくらはぎの辺りを上に乗せた。
 男は交差点を渡った。黄色だったために車はブレーキを強くかけたが、男は向かいの歩道へ到達した。そして左を見ては右を見て、それを何度も繰り返した。
(これはヤツらの仕業かもしれんの……)
 フラグメントは基本的に行使するインコンプリートの知識に依存する。絵美の治癒は彼女に人体の構造に関する知識がなければ効果がないのと同様に、攻撃などの際にもその性質は反映される。ペドフォビアンは人を操るフラグメントを扱うが、操られる対象が知っている場所でもペドフォビアンが知らない場所なら、行けと命令しても到達することはできない。今ひげの男が陥ってる状況は、博士の想定に適っていた。
 結局、男は右に曲がって道なりに歩き出した。
 カメラを操作して、博士は男の周囲を見渡す。モニターの端にはバラエティ番組などの小さなワイプ画面のように、ひげの男が歩く様子が追跡されている。画面の大部分は町の上空を写している。
 博士の手が止まる。無表情にモニターを見つめ、インカムのボタンを押しながら口を開いた。
「敵さんのお出ましじゃぞい」



第16話←|[TOP]思いは走れど、筆は走らず。倒錯偏愛パラフィリアン→第18話

inserted by FC2 system