23話「狩り - preasure」

 勝也はまず、一番近くにある棟に入り込んだ。
 団地のなかは2つの棟が渡り廊下で全ての階が繋がれているため、中央は吹き抜けになっている。風が吹くと、おおうおおうと巨人が泣いているように聞こえる。
 入ってすぐには階段があり、罠がしかけられていそうで上るのは躊躇われた。
『ある程度は見えなければその対象の人物や周囲の状況がつかみにくいからじゃ』
 博士の言葉を思い出す。敵は高いところにいて見晴らしがきくため、いつまでも団地から離れているわけにはいかない。さっきの横腹が痛くなったのが奴の能力だということは、遠距離攻撃ができるということだ。屋内に入ればなんとかなるかもしれない。とはいえ、この売られたケンカへの勝算はほとんどなかった。奴はこちらの姿を見つけやすいが、こちらはそうはいかない。相手の位置を知りながら、こちらの位置を知られずに済む方法……そんなもの、浮かぶはずがなかった。だが。
「ハハハハ、楽しませてくれよ! ヒョロ野郎!」
 勝也は額を押さえた。屋上のひとつ下の階の渡り廊下から姿を覗かせていた。手すりから身を乗り出していたかと思うと、また走り去った。
 階数を数えるとちょうど10階だった。屋上から奴は10階へ降りてきたということは、屋上に戻る気はないということだろう。早合点はいけないと思いながらも、蓋然性からペドフォビアンは団地内を動き回ってこちらの気を拡散させるつもりだろう。
 1階の右側の廊下を走りながら、なおも考える。あの行動の動機がわからない。ペドフォビアンというあの男、予想のつかない奇策を用意しているか、なにも考えていないかのどちらかだろう。だがこの場所に連れてきたのは奴だ。なんの策も用意せずに誘き寄せるというのは馬鹿でしかない。ということは、あいつはとんでもない奇策を弄する策士か、一寸先すら想像できない脳筋野郎のどちらかだ。
 勝也はとりあえず一階をまっすぐに走り抜ける。廊下は見通しがよく、向こうまで見渡せる。しかしどれぐらいの距離があるのかは、見通しがあまりにもいいせいでわからない。
 廊下の壁には金属製のドアがはめられていて、キチンと閉じられているものもあれば一部が折れ曲がっていたり、完全に扉のない入り口もあった。どの部屋にも住人はいないだろう。確実とはいいきれないが、こんなオンボロに住んでいる人間を想像できない。
 10ほどのドアを横目に走り抜けると、もう1つの渡り廊下があった。そこにはエレベーターがあり、脇には消火栓もある。なにかしかけられているかもしれないが、ボタンを押してみる。電気が供給されていないらしく、階数のランプすら点かない。エレベーターを後に、また走り出す。
「オラオラ、どうしたんだ? オレは元気だぞ!」
 やけに張り切っている挑発が棟内に響き渡るのを耳にしながら、速度は緩めない。また10のドアを走って過ぎると、渡り廊下が現れる。エレベーターが佇んでいるが、ランプは点灯していない。
 廊下をさらに走ると、今度は6つめぐらいのドアが完全に開ききっていた。通路を邪魔している上、錆びているのか押してもびくともしない。むりやり通り抜けるにも隙間がなく、勝也は廊下の手すりを乗り越えて、いったん駐輪場――他の階の吹き抜けの部分が、1階では自転車やバイクの駐輪の場になっているようだ――に降りようとした。
「馬ぁ鹿」
 階上から声がしたかと思うと、左肩が虫に食われたような痛みに襲われた。
「あぐっ!」
 肩の関節の辺りから、血が噴き出す。右手で抑えると、その吹き上がる血の向こう――3階か4階辺り――でペドフォビアンが笑っていた。



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