25話「その背後で - attack his bihind」

 勝也は赤い胴体を強く掴んだ。それがどれほど助けとなるかわからないが、消火栓の振動を抑えられたなら音が小さくなるかもしれないという希望的観測のためだった。
 息をひそめる。とくに近づいてくる気配はないようだ。ひょっとすると、ペドフォビアン
 渡り廊下のすぐ前に、ドアの開いた一室があった。手をかけると、錆びてはいるようで、だがギギギと音をたてて開いた。室内に滑り込む。
 室内は薄暗かった。ワインレッドのようなカーテンがかけられていて、風にはためいている。その赤さとカーテンの色褪せてできたまだらの染みが、まるで血の飛び散ったように見えた。タンスやちゃぶ台などの家具がいくつかあるぐらいで、部屋数も風呂場とトイレがあるぐらいで1Kのようだ。
 身をひそめて、ドアの隙間から外をのぞく。もしペドフォビアンが通れば、背後から襲えるかもしれない。隙間からは、閉じたままのエレベーターが見えている。
 ドアの下辺りにメールボックス――というよりもチラシ入れといったほうが近いかもしれない――があった。そこから、変色したチラシが顔をのぞかせている。ドアの陰に隠れてそれを手にする。
 チラシは近くのスーパーや新聞の勧誘、遊園地の開園10周年記念のものなどがあった。足元に新聞紙が落ちている。手にとると、湿った感触がして、埃がサッと舞った。日付は1990年06月13日。いまから20年近く前のものだ。この団地はそれほど前から放置されているということだろうか。
 新聞からチラシがこぼれて音をたてた。慌てて身を伏せる。廊下のほうからの気配はない。チラシを手にして、ペラペラとめくる。
 そのなかの一枚に、破れてはいるが簡易地図の載ったチラシがあった。
『ベーカリー アンダー・ザ・ツリー 割引セール実施中!』
 このパン屋の店主は木下という苗字だろうかと考えながら、地図に目を馳せる。
 きわめて狭い範囲での地図で、この団地とその脇にある路地の図だけが描かれている。ここが日本のどこに位置するのかはわからないが、かろうじてこの団地の概観がわかった。
 チラシを手にしながら、部屋を横切って窓から外を見る。遠く地上には道路と――海があった。
(また海かよ……)
 もはやそれが海かどうか、湖や池かもしれないという疑問には耳を傾ける気力もなくなっていた。

 ペドフォビアンは階段を駆け上がっていた。鍛え上げられた身体能力のおかげで、息切れはほとんどしていない。
 上階から相手の姿を探してみたものの、動きがなかったため下に降りて確認してみた。どこかに隠れたらしく、姿が見えない。隠れる場所といったら、この団地に何十とある部屋に間違いない。どうせしらみつぶしにするなら、高いところからしていったほうが無難だろう。
 6階を越え、7階を通り過ぎる。8階を走りぬけ、9階で――足を止めた。
(なにかが……おかしい……?)
 ペドフォビアンは不思議な違和感に気づいていた。本人はなぜだかわかっていなかったが、それは勝也が倒した消火栓のためだった。ペドフォビアンはこの階も通っていて、はっきりとではないがその配置を憶えていたのだった。
 緊張が踊り廊下に広がる。ペドフォビアンは辺りを見回した。そして、やはり少し大きく開かれたドアに気がついた。
 ペドフォビアンはドア脇の壁に背を預け、そっと部屋のなかを覗いた。染みのついた赤いカーテンが揺れている。なかの様子はあまりよくわからない。自分のなかで、1、2、と数えると、3、で部屋のなかに飛び込んだ。
 部屋のなかには、誰もいなかった。だがチラシが部屋のまんなかに散乱していた。
(ここにアイツがいたってことか……)
 状況を確認するペドフォビアンの背後に、巨大化した勝也の右腕が振り下ろされつつあった。



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